メートル法がフランス革命のドサクサの中で発案されたことは広く知られている。
そして、メートル法には倍数接頭辞というのがあって、単位名に付けることで 10 倍、100 倍、103n 倍を表せる。
そしてその倍数接頭辞はフランス語、或いは西欧の主要な言語の「高級語彙」の例に漏れず、ラテン語やギリシア語に由来する。そして 1000 倍を意味する kilo‐ はギリシア語の χίλιοι に由来するとされる。
ところで、フランス語中のギリシア系単語に於いて、ギリシア語の χ は通常 ch に転写され /ʃ/ ではなく /k/ と発音されるのが普通である。メートル法の発案者は何故 chilio‐ とか chilo‐ ではなく kilo‐ という綴りを採用したのだろうか。 chilio‐ だと /ʃiljo/ のように発音される可能性があって、kilo‐ の方が都合が良かったからだろうか。
ここは詳細な情報を募りたい。
『言語学を学ぶ人のために』(西田龍雄編、世界思想社)第 10 章「言葉と文字」で西田氏は言語の体系と文字の組織の対応が「恣意的」であることを指摘している。曰く「日本語を仮名で書いてもよく、ローマ字で書いても差し支えない」と。
では、日本語はヒエログリフやシュメール楔形文字でも書けるだろうか。ヒエログリフに関しては、福山市内の某中学校がその表音文字で自分の名前を書く講習を受けたとは聞く。
然しヒエログリフ然りシュメール楔形文字然り表音文字と表語文字があり、余り知られていないが漢字に似た形声の用法もある。それらを駆使した「日本語の表記」もあり得るだろうが、言語の表記に関して野心的な者の多い Twitter に於いても、そういう表記を積極的に確立しようとする人は見かけなかった。
いづれにせよ、書き手と読み手の両方が言語と文字の対応関係を把握しないと、文字による意思疎通はできず、即ち文字がその本来の用途に沿うことができない。そしてその対応関係とやらを把握するためには「学習」が必要である。
日本人には常用漢字表や現代仮名遣いの如く、行政の定めた「日本語の規範」に従順な人が多いが、正にその行政が方鍼転換をしない限り、当面日本語は漢字仮名混じりの表記が主流を保つであろう。
Unicode の漢字統合について注意すべきことは、批判者がどのような説を支持しているかを理解する必要がある。
個人的にはこれらの殆どが現行の Unicode とは別に何かしら難点を持っているように思えるし、読者諸氏も「中国と台湾を峻別するかしないかは政治的に難題ではないか」(私は六点リーダでその辺を端折ったが)のような疑りを持つ人が多いだろう。
私は「Unicode 万歳!」とは一言も言ってないよ。
いや、こういうことを纏めて論文みたいなものを書ければ社会にとって有益じゃないかな、と。
結局、言語一般に通ずる「助動詞」の概念はあるのだろうか、と言う疑問が湧く。
バス停のローマ字表記の「‐mae」ってのは非日本語話者に通ずるのだろうか。「-前」自体が日本独特の言い回しのような気がする(英語などには似た言回しが無い)。
現代の世界共通語はナワトル語でもラテン語でもなく、況してや日本語のローマ字表記でもなく、一応なんだかんだで英語なのだから、バス停の標識に添えるのは英語表記でいい。「関西空港」駅も駅名標に「Kansai Airport」と添えてあったはず。
ラテン語の appellare やフランス語の appeler やドイツ語の heißen に相当する動詞が英語に無い不思議。強いて言えば to be called ですか。
刀削麺を「とうさくめん」でなくて「とうしょうめん」と読む人がいる理由、
のどちらか、ですか。