彼岸花試験圃 2025 年夏

2025 年 6 月 21 日

『いま日本語が危ない』寸評集を書いた。

論文の体はなしていない。箇条書き。

2025 年 6 月 22 日

イギリスのロックバンド「QUEEN」は台湾華語では「皇后」と謂うらしい。

それだと EMPRESS になりやすまいかとも思うが、エリザベス二世と紛らわしいから敢えてこう訳したとも推測できる。

2025 年 7 月 9 日

日本人にせよ中国人にせよ台湾人にせよ、漢字筆者は、例えば「林」という漢字を「『木』を横に二つ並べた文字」と認識している。「偏は右下の画を止めるが、旁は右下の画を払う」という理由で「『林』の偏と旁は別物」と主張したら、ひねくれ者扱いされる。

ともかく、所謂会意字や形声字は「幾つかの要素となる文字(説文に拠る所の「文」)を組み合わせた文字」という認識は、漢字の知識の多寡を問わず根強い。

一方、例えば「則」という文字は甲骨文や金文にまで遡れば「鼎」と「刀」から成るのだが、楷書や明朝体くらいしか用いない現代人の大半は「貝」と「刀」から成ると思い込んでる者のほうが多数だろう。しかも「何故鼎と刀から成るのか」という「字源」については、学者にすら推測しかできない。

早い話が、現代人が文字を何らかの言語を綴るのに用いるのに字源は然程重要ではないのである。ソシュールは語源などを扱う「共時言語学」と、一時代に於ける言語の相を扱う「通時言語学」を峻別し、後者を言語の本質としたが、こういう考えは漢字の字源にも応用できるのである。(ラテン文字などならば猶更である。「A」の字を書く度に「牛」を想起する必要は無い)

2025 年 7 月 17 日

「漢字統合」の問題でなかなか顧みられないのが「漢文」の存在である。小野妹子や阿倍仲麻呂が隋や唐の皇帝と交わした書翰は果たして「日本漢字」だろうか「中国漢字」だろうか。

太田昌孝氏は『いま日本語が危ない』p.74 で「ユニコードに現在含まれている漢字と称するものは『日中韓統合漢字スクリプト』、つまり誰もいまだかつて使ったことのないスクリプトに属する漢字」と述べているが、遣隋使、遣唐使、日明貿易、朝鮮通信使、唐人屋敷など、前近代の日中韓の文化交流の場で用いられた漢文の漢字こそ「日中韓に分化していない(或いは、分化を抑制した)漢字」ではなかろうか。

慥かに『危ない』p. 118 には「日本の漢文の教科書の多くでは日本漢字スクリプト(いわゆる教科書体)で中国語が表記されている」とも述べられているが、これは現代的な現象であろう。

但し書風に関しては平安時代頃には和様・唐様の違いが認識されていたらしいし、「峠」「働」のような和製漢字(国字)の成立も新しくはない。

2025 年 7 月 19 日