我々は「あ」とか「い」とかいった文字を「平仮名」、「ア」とか「イ」とかいった文字を「片仮名」、「A」とか「B」とか「a」とか「b」とかいった文字を「ローマ字」とか「ラテン文字」、或いは俗に単に「アルファベット」と呼んでいる。こういった文字の体系を――図形としての文字の集合だけではなく、禁則処理などの規則も含めて――用字系とか文字組織(西田龍雄氏の用語)という。
一つの言語は、異なる用字系で記すこともなし得る(場合もある)。「今日は」は「日本語漢字・平仮名表記」、「Konnichiwa」は「日本語ラテン文字表記」である。無論「日本語シュメール楔形文字表記」を筆者は見たことがないが……
共和政ローマが勃興する以前、ギリシア文字がイタリア半島に伝わり、エトルリア語の表記に転用された。さて、エトルリア人は自分たちがエトルリア語を表記するのに用いている文字を「ギリシア文字」と認識していたであろうか、それとも「ギリシア文字から派生して且つ非なる別の文字」と認識していたであろうか。
「字体が同じ、或いは然程変化が無いからギリシア文字と同じだ」と認識していた者もいたかも知れないし、「綴る対象がギリシア語ではなくエトルリア語だから、文字もギリシア文字と似て非なるエトルリア文字だ」と認識していた者もいたかも知れない。時代によって、各々の認識を有していた者の割合も変化したかも知れない。
これは「ギリシア文字」とか「エトルリア文字」といった「用字系」に限らず、「ギリシア文字の Α 」と「エトルリア文字の 𐌀 」といった個々の「字種」についても「同じ文字だ」「異なる文字だ」といった認識があったと想像できる。極端な話「ギリシア文字の Α とエトルリア文字の 𐌀 は同じだが、ギリシア文字とエトルリア文字は異なる」という認識の者すらいたかも知れない(これが「日中韓の漢字」にも云えるのだが)。
但、そういう認識の異なるエトルリア人同士であっても、その認識はエトルリア語の字体や綴りに然程影響せず、筆記による意思疎通にも支障をきたさなかったという想像は、難しくない。
因みに、無理にエトルリア語の時代に溯らなくても、現代の英語の話者が英語を綴るのに用いる文字を「Latin Alphabet」と認識しているか否かは、拮抗しているようだ(以前 Twitter でアンケートを採った結果判明した。より学術的な調査も可能かも知れないが)。
一つの言語を書き表すのに用いられる字種――文字の認識上の種――は原則、有限個と認識されることが多い。
例えば英語はラテン文字 26 字――大文字の A と小文字の a が同じ「字種」かは曖昧だが――といくつかの約物(やくもの、ピリオドやコンマの類)を用いれば殆ど書き表せる。
但しそんな英語とて café や résumé、naïve、β‐ray 等のように「通常用いる字種の集合」とか「用字系」とかいった枠組みを破ることがある。こういった単語は通常例外と看做されるが、実際どんな言語とて、どんな用字系のどんな字種が「例外的に」現れるかは無視しきれない。